『52ヘルツのクジラたち』。

全国の書店員が“今いちばん売りたい本”を決める『2021年本屋大賞』に選ばれた作品です。本屋大賞の過去の受賞作としては、「博士の愛した数式」「告白」「海賊と呼ばれた男」「ゴールデンスランバー」などドラマや映画化されるなど話題になった作がたくさんあります。

この“52ヘルツのクジラ”とは、ほかのクジラと鳴き声の周波数が異なるために、いくら鳴いても、他のクジラにその声が届かない孤独なクジラのことを指します。本書のメインテーマは児童虐待ですが、家庭内DVやLGBTなど社会課題の当事者がたくさん出てきます。

LGBTに関しては、メインテーマではないので読んでいても途中まで意識することはほとんどないと思いますが、実は重要な伏線となっています。取り扱っているのは重いテーマですが、作品自体はとても読みやすいです。LGBTについても関心が高く、小説が好きという方におすすめです。

本ブログでは、ネタバレを含むので、未読のかたは、先に作品を読むことをおススメします。

書籍概要

「わたしは、あんたの誰にも届かない52ヘルツの声を聴くよ」

自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年。

孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らが出会う時、新たな魂の物語が生まれる。

印象的なテーマ

本書では、親から長年に渡って虐待を受けた上に、束縛され続けて心に深い傷を負っている主人公の貴瑚と、その貴瑚を救い出し無償の愛で包み込み支えてあげるアンさんの関係が一つのテーマになっています。

アンさんは、人の良さそうな丸い顔でアンパンのヒーローが大人の男性になったような素敵な人です。その彼は、献身的に貴瑚を支え、周りからは恋愛感情があるのでは?と思われながらも決してそれを表に出すことはなく、貴瑚もその気持ちに気づくことはありません。

なぜか?

それは、アンさんがFTMトランスジェンダーだったからです。見た目も社会的にも男性として生活をしていたけれど、トランスジェンダーであることがカミングアウトできず、結局、貴瑚に想いを告白することもできませんでした。

「不完全な娘でごめんなさい。これまでに何度も苦しめたでしょう。(中略)願わくば、また今度もあなたの子どもとして生まれたいです。その時には男として生まれますね」(P200)

そのアンさんが結局、自殺をしてしまい、母にあてた遺書に書かれていた言葉です。

「白いヴェールを被った花嫁のようになったアンさんを見て、泣き崩れた。こんな姿をどうして死んでからしか見せてくれんの?」(P198)

アンさんの遺体を前に、お母さんは一生懸命化粧をします。親子の想いのすれ違いが読者の胸を締め付けてきます。

感じたこと

アンさんがトランスジェンダーであることが明かされるのは8割くらい進んだところです。そこまで予備知識をなく読んでいる読者のほとんどは、アンさんは男性だと思って読み進めているので、ここで伏線回収がされるという仕掛けです。このような形で“トランスジェンダーという属性”を登場させている作品は珍しいと思います。

実際にアンさんのように、自認の性別で生活をして社会にしっかり溶け込んでおり周りの人は知らないというケースもたくさんあります。その意味では、本書は現実をうまく描いているのかもしれません。

また結果的に、トランスジェンダーのアンさんだけが不幸な形で終わるので、その点については批判的意見もあると思います。

2021年のベストセラーがどのようにトランスジェンダーを描いているのか、興味をもったかたは是非、ご一読ください。