『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』

早稲田大学准教授で社会学やクィアスタディーズを専門としている森山至貴さんと、文筆家の能町みね子さんの対談本です。森山さんはゲイ、能町さんはトランスジェンダー女性という背景を踏まえて、本音のトークが繰り広げられます。
本書の一番の特徴は、教科書的なLGBT本ではなく、クィア的な姿勢や考えをベースにしたLGBT本ということです。
LGBTに関する知識は一通りあり、もっと深く知りたいとか、クィアについて理解したいという人におススメです。

書籍概要

「LGBT」に分類して整理したら、終わりじゃない。「わからない」と「わかる」、「マイノリティ」と「マジョリティ」を行き来しながら対話する、繊細で痛快なクィアの本。
ときに反抗的で、しなやかな態度は明日への希望に――。

『「クィア」という語が持つ、世の中の「普通」に対する徹底した懐疑の姿勢や、そのしたたかな好戦性について、私たちの真面目にして不真面目な対話の中から感覚的につかんでもらえるのではないかな、と思っています』(森山至貴)

目次

第1章:私たち「その他」は壮大なんですけど? LGBTQ+、分類して整理したあとの、その先の話
・当事者性が強すぎて
第2章:基準を疑え、規範を疑え ——性、性別、恋愛ってなんだろう?
・「わからない」って言いたいだけじゃん
第3章:いい加減、そろそろ慣れてくれないかな ——マイノリティとマジョリティのあいだ
・それは「論」ではありません
第4章:制度を疑い、乗りこなせ ——「結婚」をおちょくり、「家族像」を書き換える
第5章:そんな未来はいらないし、私の不幸は私が決める ——流動する身体、異性愛的ではない未来
第6章:「出過ぎた真似」と「踏み外し」が世界を広げる——「みんな」なんて疑ってやる

印象的なコンテンツ

“慣れろ”
LGBTアライという言葉から話は広がり、“理解する”“受け入れる”という言葉のもつ語感への懸念の話になり、『別に大歓迎してハグして愛してくださいってことじゃなくて。そこにいる、存在するっていうことについてはもうあきらめて認めましょうよ』(P182 能町)となり、『あなたの素晴らしい良心が私の存在を受け入れるとか、そういうことじゃなくてさ、慣れてくれないかな』(P182 森山)となります。

“おちょくれ”
『婚姻届けという書類一枚によって世間から保証されるそのこと自体がどうなんだ』(P220 能町)
『レールに乗せられることに対する根源的な拒否感が、自分のなかにあるんです』(P221 森山)
FtMトランスジェンダーの杉山文野さんが、親友のゲイの方の精子を使って、パートナーとの間に子供を授かった話に対して『よき家族のかたちをこういう「変わった人たち」でもつくれました』(P229 森山)という報道の視点に疑問を投げかけます。
現在の結婚制度や家族の形を見直してもいいのでは、という意見です。

“踏み外せ”
『「出過ぎた真似していこうぜ」っていうのが、クィアという言葉がいくつもの文字通りの屍を生み出しながら、それでも貫いてきた反抗的な態度』(P311 森山)

感じたこと

印象的なコンテンツとしては、題名に関連した部分を取り上げましたが、それ以外にも

・分類して整理したら終わりじゃない
・「好き」は性別を認識してから芽生えるのか?
・性自認とジェンダー
・聞いたこともない性的指向の人に会ってみたい

など、話題は多岐にわたりとても興味深いです。

お二人とも本書の中で触れていますが、それぞれゲイやトランスジェンダーの代表ではないので、ほかのゲイやトランスジェンダーの人はまた別の意見があります。
またお二人ともクィア的な姿勢で、あえて挑戦的な言葉で本音を語っているので、読者にもある種のバランス感覚が求められます。

それも分かったうえで、本書を通して読むと、クィアというものが少しわかる気がします。