『トランスジェンダーを生きる~語り合いから描く体験の「質感」』

本書は、京都大学大学院時代に博士論文として町田奈緒士さんが発表したものを、書籍として出版したものです。

トランスジェンダー当事者としての町田さん自身の体験や直感に重きを置きながらも、既存のトランスジェンダーの研究に欠けている当事者の「質感」を明らかにしていきます。

本書には多くのインタビューが掲載されていますが、あえて声のトーンや沈黙、インタビュアの相槌などの非言語的な情報をそのまま載せているために、目の前で話を聞いているような錯覚を覚えます。

もともと博士論文であり、著者はアカデミック・ライティングを研究してきたこともあり、用語の定義や論理展開など、とても精緻に記述しています。
正確性を期すがゆえに、読み物としてはあまり読みやすくはないのですが、ここで指摘・示唆している内容は、トランスジェンダーの人々の求めることの本質に迫っていると感じます。

読みにくさから万人向けの本ではありませんが、トランスジェンダーについてより深く知りたい人には、とてもおすすめの一冊です。

書籍概要

目次
第I部 理論編
第1章 トランスジェンダーをめぐる歴史と今
第2章 性をめぐって語られてきたこと
第3章 近年の実証的研究が明らかにしてきたこと
第4章 方法論

第II部 事例編
第5章 性を他者との関係性から捉え直す──〈雰囲気〉
第6章 トランスジェンダーを生きるという体験に伴われる実感──〈擬態〉
第7章 トランスジェンダーの人々はどのように他者や社会とつながっていくのか──〈器〉
第8章 最終考察

トランスジェンダーの人々が生きることに伴う「実感」とはどのようなものなのか?
――トランスジェンダーの一人として生きる著者と、8人のトランスジェンダーとの語り合いをつうじてこれらの問いに迫る労作。
それぞれの過去といまの体験世界を解くことで導き出された、〈雰囲気〉〈擬態〉〈器〉の3つの鍵概念からトランスジェンダーを生きるという体験に接近する。

印象的なコンテンツ

第Ⅰ部(理論編)には、トランスジェンダーの定義の考察、日本の歴史におけるトランスジェンダーの捉えられ方など興味深い内容が盛り込まれていますが、ここでは本書の中核である第Ⅱ部(事例編)から、印象的なコンテンツをご紹介します。

『トランスジェンダー当人の<雰囲気>の自己体験には、他者からどのようなまなざしを向けられてきたかということが決定的な影響を及ぼしている』(P146)
性の要素モデルにより性を図式化すると、自分で能動的・主観的に性を自己決定できるように捉えられやすいけれど、実際には他者との関係性の中で形作られると主張します。

『私のことを、普通のシス女性と思ってるっていうことは怖いですね』(P170)
自分がトランスジェンダーであることがバレない(≒埋没する)ことを目標にしている人が多い中で、『キラキラしたシスジェンダー女性たちとは何かが決定的に違う』という感覚があるための言葉です。
著者はこれを“擬態”と記しています。擬態に騙されて、周囲が虚像を作り上げることが、心の葛藤にもつながっているそうです。

『言語的・認知的にLGBTをめぐる概念を知っていることも重要ではあるものの、それだけでは十分ではなく、時に葛藤を抱えつつも、自分や相手の性のあり方を受け止めようとする姿勢が不可欠である』(P288)
この表現自体は、確かにその通りと首肯する人も多いかもしれません。
しかし著者自身は、トランスジェンダーの体験からくる質感が十分には伝わっていないという思いを抱いているのだと思います。

感じたこと

職場でトランスジェンダーの話題になると、まっさきにトイレの話がでてきますが、これは言語的・認知的にトランスジェンダーの課題を知っている、という状態です。
トランスジェンダーの働きにくさはトイレの課題の手前にもたくさんあるので、その課題を感じるために、“質感”が大切になってくるというのが本書で書かれている内容になります。

全部を読むのが大変な場合には、第Ⅱ部のインタビューを読むだけでも、とても意味があると思います。
おすすめです!