『「ふつうのLGBT」像に抗して』~「なじめなさ」「なじんだつもり」から考える
早稲田大学教授でクィア・スタディーズ*を専門とする森山至貴氏による著作です。
本書は、LGBTという言葉の表面的な理解やステレオタイプに対して疑問を投げかけ、多様な性のあり方を深く考察しています。
ゲイコミュニティになじめないゲイ男性という筆者自身の体験や感覚がベースにあり、さらにマジョリティが示す”LGBTへの理解”に対する警戒心が随所に現れている書籍です。
学術論文ではないものの、正確性を期すために論理的かつ多くの書籍等が引用され、一般的には馴染みの薄い用語も用いられており、読みやすい書籍とは言えないかもしれませんが、敢えての挑発的な文言も含めて、LGBTに関して一定の基礎知識があり、より深く知りたいという方にはおススメの一冊です。
*クィア・スタディーズ:性の多様性に関する学問。クィア(奇抜さ)という言葉を前面に押し出し社会の提示する「普通」を徹底的に疑う姿勢がある
書籍概要
目次
第1章 居場所がしんどい、現場がこわい
第2章 「二丁目に捨てるゴミ無し」と人は言うけれど、
第3章 ないことにされる、でもあってほしくない――「ゲイの男性性」をめぐって
第4章 「LGBT」が「活用」されれば満足ですか?
第5章 「最近はLGBTをテレビや映画でよく見かけるし、時代は変わったよね」
第6章 「どんな見た目でもいいじゃない、LGBTの人たちみたいに」
第7章 笑っても地獄、笑わなくても地獄
第8章 「何に困っているのか教えてください」
第9章 「今度はインターセクショナリティが流行ってるんだって?」
「もうLGBTなんてふつう」って言っておけばいいと思ってない?「ゲイコミュニティ」になじめないゲイという立場に留まることから見えてくる、うわべだけのセクシュアルマイノリティ理解を脱するための処方箋。
印象的なコンテンツ
『LGBTビジネスにおけるLGBTとは、高所得ゆえに消費の場面において可視性の高まった一部のセクシュアルマイノリティに過ぎない』(P86)
企業がLGBTをビジネスの対象として捉える動きがあり、それをもって差別が減ってきているという考えに異を唱えています。
ビジネスの対象として捉えるLGBTは、ハイセンスな消費者であり、これを前面に押し出すことで、マジョリティと比較して貧しい状況に置かれているセクシュアルマイノリティの全体像から乖離するイメージ付けがされていることを危惧しています。
同時に、異性愛社会の敵ではないという主張を当事者がしてしまうことでの分断も指摘しています。
『性の多様性のわかりやすい部分だけをつまみ食いしたいという欲望が、その「LGBT」という言葉の使用の背後に隠れていないか?』(P115)
LGBT=セクシュアルマイノリティではない、という前提の中で、LGBTという言葉がセクシュアルマイノリティの中に存在する性の多様性を曖昧なままに放置することにつながっていないかを、読者に問うています。
セクシュアルマイノリティの中には、可視化されやすい属性と、そうでない属性があり、その間の不平等という問題も書かれています。
『「何に困っているのか教えてください」がときにマイノリティを生きづらくさせることがある』(P169)
マジョリティが、マイノリティに教えを請うこと自体は基本的には望ましいものであるが、一方で答えを試行錯誤する過程を本人に押し付け、マイノリティの時間と労力を、マジョリティの教育に割くことを求めることにもつながり、結果として手放しでは喜べない、暴力的行為にもなりうると指摘しています。
この教えを請うためには、一定の条件が整っていることが大切と説いています。
感じたこと
LGBT研修が一般的に実施されるようになり、LGBTの書籍やドラマなども多く目にするようになっています。
その中でLGBTについて“理解”している人(社会)に対して、その“理解”は表面的なものでないか?ステレオタイプではないか?というようなことを全編を通じて考えさせられます。
最初から全部読むのが大変な場合は、目次で興味をもった一部だけを読むのも良いと思います。