『FtMトランスジェンダーのぼくのことを話そう』

江里ユウキさんが、FtMトランスジェンダーとして生きてきた人生について、自分と同じように性自認に関連して悩んでいる人や、友だちに同じような人がいる人に、自分の体験を語っている本です。

今年発売になった本で、著者もまだ20代と若いので、比較的若い世代のトランスジェンダーのリアルな体験を感じることができます。

またトランスジェンダーといっても人それぞれ違いますが、江里さんならではの体験も多く書かれているので、トランスジェンダーの理解を深めるためには良い一冊です。

 

書籍概要

目次
第1章 臆病な女の子とその人生のはじまり
第2章 女の子じゃない!
第3章 耐え難い体の変化
第4章 プレッシャー
第5章 引きこもって
第6章 新生活のはじまり
第7章 違和感たちの正体
第8章 セクマイ
第9章 自分を知る
第10章 そのままではいられない
第11章 自分を変えていく
第12章 もう一度、前を向いて
第13章 いらないものとさよなら
第14章 理解ある職場
第15章 今のぼくで

 

印象的なコンテンツ

『トランスの人の子どものころの話で、体と反対の性の子が好む遊びが好きだった、というのをよく聞く。僕はそういうタイプじゃなかった』(P14)
スカートは好きではなかったけれどキュロットは好きで、友だちは女の子ばかり、キラキラしたものが好きで、女の子向けアニメのキャラが好きという幼少期だったそうです。
“トランスジェンダーの幼少期あるある”というのも一つの典型例に過ぎず、いろいろな感じ方や過ごし方があります。

『“女子しか入れないところ”に行くのは嫌で嫌で、だからそのころから学校ではほとんどトイレに行ったことがない。』(P22)
幼少期はトランスの自覚はなく漠然とした違和感だけであったけれど、それでも女子の場所には入りたくないという気持ちが強かったそうです。
この気持ちは中学校でも続き、トイレにはさらにいけなくなり、不登校への遠因にもなります。

『自分がセクマイだと自覚せずに会うのと、自覚してから会うのとでは雲泥の差がある』(P100)
自分のジェンダーアイデンティティを自覚し、両親にもカミングアウトをして一応、受け止めてもらえます。
クラスで自分だけがセクマイ(=セクシュアルマイノリティ)だと思っていたのが、実はたくさん(40人クラスに4人)いることに気づきます。
セクマイ特有のセンサーみたいなものがあって、なんとなくわかるようになったとのことです。
一人じゃないと思えたことで、一気に快適な場所に変わります。

『みんなぼくがFtMだと気づいているかもしれないけど、何も言われないし、たぶんみんなぼくに必要以上の興味をもっていない。これはとてもいいことだし、嬉しい』(P149)
胸オペ、改名が終わり、カミングアウトは最低限で男性として働ける職場を探し、地域密着型の病院で働くようになったときの気持ちです。
カミングアウトは、面接時に院長だけにしています。

『子どもを産み育てることは世のなかで普通のこととされている。だからその普通を、生殖機能を失うのが怖い』(P153)
“普通”にあこがれて生きてきて、普通になりたかったからこそ、子どもを産む予定がなくても、子宮卵巣摘出手術をする覚悟はできていない、と語っています。

 

感じたこと

20代の一人のFtMトランスジェンダーのリアルな体験や悩みが伝わってきます。
小学生でも読めるようにと意識して書かれているので、読みやすいです。
トランスジェンダーについてもっと知りたいという方におススメの一冊です。