レインボーリール映画祭でグランプリを受賞した『カランコエの花』を見てきました。立ち見も断られる人がいるほど、超満員でした。

アライとはどういう人なのか?アライに必要なものは何なのか?そんなことを考えさせられた映画です。

この映画のあらすじ(ネタばれもちょっと含みます)は、高校のあるクラスで、ある日LGBTの授業が行われます。突然だったこと、他のクラスでは行われず特定のクラスだけで行われたこともあり、それをきっかけに、そのクラスにLGBT当事者がいるのでは?という疑念が生じます。騒ぎを煽る人、止める人、真相を知る人、それぞれの感情が飛び交います。

授業を行った先生は、当事者の生徒からカミングアウトを受けていて、クラスメイトにも理解を促そうと思ってやったことでした。また当事者の生徒が誰か知っていた友人は、噂がたったときにその生徒がLGBTではない、と一生懸命かばおうとします。

この映画の特徴は、LGBT当事者目線ではなく、当事者自身の心の動きは直接的にはあまり描かれていません。LGBT非当事者である周囲の人の行動や心の動きを繊細に描いています。

この映画ではいわゆる“悪意”のあるいじめやからかいはあまり出てきません。むしろ先生も友人も“善意”で、その当事者のためにと思って行動をします。自分の善意や「守りたい」という思いからでた行動が、結果的に本人を傷つけてしまう、そんな映画です。

僕はこの映画をLGBT当事者も含めて5人で見てきました。それぞれいろいろな感想がありました。

Aさん:「守ってほしいと思ったことはない。かわいそうだと思われるのも違う。知識があるのと理解をするのは違うよね。ゲイというのは自分の個性の一つだと思っているし、その個性を“守る”つもりであっても否定はされたくない。」

Bさん:「私はこれまでけっこうカミングアウトをしてきたほうだと思う。カミングアウトをすると、気を使われるというか、腫れ物扱いをされることはよくあるよね。パス度が高いから私の場合も言わなければ分からない。理解してほしい気持ちもあるけれど、気を使われたり、距離を取られるくらいならカミングアウトをしないほうがいいなって思っちゃう。」

Cさん:「自分は、アライだと思っているし、差別する気も全くない。でもどこかで潜在的な差別意識があるかもしれない、って思わされた。少なくともLGBT当事者が身近にいなくてあまり考えたことがなかった数年前であれば、同じような行動をとっていたかもしれない。」

Dさん:「実際、こういうことはよくあると思う。それでもあんな先生がいたら、ちょっと辛い。全然わかってくれていないと思う。」

アライとは、LGBTを理解し支援する人といわれます。知識を身につけることや、善意で誰かのために何かをすることが“理解”の本質ではないというのは、この映画で感じることです。

LGBTに限らず、誰かを理解をするためにはその人の立場に立つと言われますが、そこが難しい。それには、確かに知識も必要かもしれないけれど、それ以上に大切なのは、違いを知ったうえで、相手の価値観と自分の価値観の両方を大切にすることかな、と思っています。

なお、この映画では、LGBTの授業を不用意に行った保健の先生の行動はかなり非難されているみたいです。確かに稚拙でもっといい別の方法はあったと思いますが、一つ言えるのは、これを機にクラスの生徒は、LGBTというのに向き合うようになったということです。

理解をするためには、まずは向き合うことからですね。