『LGBTを特別扱いしない』という言葉をよく耳にします。LGBT当事者からも『特別扱いしないで欲しい』と聞くし、ダイバーシティを進めている企業担当者も『特別視しないほうがいいですよね?』と言われます。

概ね、その通りだと思いますし、僕も研修セミナーなどでは同じことを言います。でもこの言葉は気をつけないといけなとも思っています。

ある企業でLGBTフレンドリーな取り組みの一つとして、同性パートナーシップ制度の導入を検討していました。そのなかである役員から、『異性の事実婚を認めていないのに、なぜLGBTだけ特別扱いをして、福利厚生を適用する必要があるの?』という意見がでました。

別の企業では、社員の一人がトランスジェンダー(FTM)であることをカミングアウトしました。それに対応するために、男性の制服の着用を認めましたが、更衣室が物理的に用意できなかったため、自宅から制服の着用と車通勤を認めたところ、他の社員から『トランスジェンダーというのは分からなくはないけど、なんであの人だけ車通勤が特別に認められるの?』という声があったそうです。

採用の現場では、ある社長からこう言われました。『うちはLGBTといっても差別しない。でもそれをわざわざいうことは、逆にLGBTを区別して差別につながるのではないか?』

“特別”の対義語は“普通”ですね。

“特別扱い”をするとかしないとかの何が難しいかといえば、“普通”の概念が人によって違うということです。

結婚=異性の入籍、と考える人からすれば、異性の事実婚や同性パートナーシップは特別なことでしょう。ただ結婚=パートナーと一緒に暮らす、と考える場合には事実婚も同性パートナーシップも福利厚生の対象になるべき、となります。

普通=戸籍と見た目と自認の性別が一緒、という考えであればトランスジェンダーというのは理解できないし、その人が更衣に困るというのも分からないでしょう。

同じように、採用に際して、LGBTというセクシュアリティを理由に採用されない経験があり、結果として差別をしない企業が見つけられないというLGBT当事者の気持ちと、それを知らない経営者では“普通”が違います。

普通とは、社会の一般的な理解であったり、企業であれば社風や風土、個人であれば価値観の話になります。日本と海外では普通は違うし、企業によっても違うし、個人もさまざまです。

近年、LGBTブームと言われるほどLGBTという言葉が聞かれるようになり、急速に社会も個人も変わってきています。こういう過渡期・変革期だからこそ“普通”は人によって企業によって大きく変わっているんだと思います。

大学生(就活生)と50代のビジネスパーソンでは、“普通”はかなり違います。

こんな話もあります。

トランスジェンダーの就活生(FTM)が、LGBTフレンドリー企業の面接の際に、セクシュアリティをカミングアウトしたうえで『特別な対応を特に何も希望していません』と伝えたところ、企業は特別な対応をせずに戸籍上の女性として対応しました。もちろん本人の希望とはズレていたので、トラブルになりました。

ちゃんと伝えなかった本人にも非はあるでしょう。でもFTMと伝えているのだから…というのが本人の“普通”です。

『LGBT当事者は、特別扱いを望んでいるわけではない』というのは概ね事実だと思います。ただその前提となる普通の考え方をあわせておかないと、何が特別扱いなのかの理解が共通にならないです。

また『特定の誰か』に特別対応をするのかどうか、とトランスジェンダー(ゲイでもレズビアンでもいいです)全般に対する特別な対応、というのではかなり異なります。
特別視という言葉は難しいなと最近はそんなことを考えています。