『きらきらひかる』

直木賞をはじめとして、数々の文学賞を受賞している江國香織さんの作品です。
この作品は1991年に発表され紫式部文学賞も受賞しています。
また1992年には、本作を原作とした薬師丸ひろ子さんと豊川悦司さんが主演の映画も公開されました。

約30年前の作品で、現在とは時代背景が異なる部分もありますが、近しい部分もあります。

アル中で情緒不安定な笑子とホモ(※)で潔癖症の睦月の“脛に傷を持つ者同士”の結婚生活。そこに笑子公認の睦月の恋人の紺が加わる3人の日常生活は、人によってはなかなか理解しがたいかもしれません。

それでも3人それぞれなりの愛情の形は、LGBT(※発表当時はこの言葉はありませんが)というテーマを超えて、多くの人が共感し、本も映画も高い評価を得ています。

恋愛小説が好きな方におすすめの一冊です。

(※)本書(1991)では当時一般的に使用されていたホモという表現で統一されています。

書籍概要

私たちは十日前に見合い結婚した。
しかし、私たちの結婚について説明するのは、おそろしくやっかいである――。
笑子はアル中、睦月はホモで恋人あり。そんな二人はすべてを許しあって結婚した、はずだったのだが……。
セックスレスの奇妙な夫婦関係から浮かび上る誠実、友情、そして恋愛とは?
傷つき傷つけられながらも、愛することを止められないすべての人に贈る、純度100%の恋愛小説。

印象的なコンテンツ

『あいつと結婚するなんて、水を抱くようなものだろう』(P17)

睦月の父が、笑子に言ったセリフです。笑子は睦月がホモで肉体的な関係が持てないことを理解したうえで結婚をしており、睦月の父はそれを知っていたので、このような発言になります。

笑子にとっても、もしかすると肉体的なつながりがないことは寂しさにつながるのかもしれません。しかしそれがなくても、睦月を大切にする気持ちは大きく、笑子なりに睦月を愛しています。だからこそ、睦月とその恋人の紺の仲睦まじい話を聞きたがります。

『笑子にも恋人が必要だよ』『僕は何もしてあげられないんだよ』(P56)

睦月は同性の恋人がいながらも、また違う形で同時に笑子のことも大切に想っています。笑子の両親との関係や、友人との関係を守ってあげたいと思います。

『身上書にも健康診断書にも、そんなこと書いてなかったじゃないか。娘婿がおとこおんなだなんて、そんな馬鹿なこと、信じろという方が無理だよ、君』(P163)

笑子の父が、睦月の性的指向を知って狼狽し、自分の思いをストレートに睦月にぶつけるシーンです。笑子の父からすると、お見合い結婚の相手がホモというのは“詐欺”という思いです。

これは30年前なら一般的な反応だと思います。30年経った今はどうでしょうか?
一般的な話であれば理解を示す人でも、自分の娘の結婚相手の話となれば、このような反応になる場合もあるかもしれません。
このあとお互いの“傷”を知らなかった両家の親による激しい家族会議が行われます。両親それぞれの思惑、それに困惑する笑子と睦月。

感じたこと

笑子と睦月はお互いすべて了承したうえで結婚したのですが、自分のマイノリティ性を自分自身が“傷”と感じている部分があるからこそ、相手を幸せにしたい(不幸にしたくない)と考えて、そのために自分が我慢するという選択をとっていき、だんだんすれ違っていきます。

愛情とは?結婚とは?いろいろ考えさせられる本です。
どんな形であれ、本人たちが幸せであれば、それも良いのでは、と思える作品です。

読みやすい文体でボリュームも多くないので、恋愛小説が好きな方だけでなく、30年前のLGBTを取り巻く空気感を知りたい方はおススメです。