『ヒゲとナプキン』。
原案が杉山文野さん、著者乙武洋匡さんの小説です。杉山さん自身の体験とほかのトランスジェンダーの体験をベースに、乙武さんが小説という形で書かれたものです。FTMトランスジェンダーが主人公なので、トランスジェンダーならではなの話はたくさん出てくるのですが、そこでとどまることなく普遍的な家族の話にまで昇華されています。
LGBTについて知りたい!という人も面白く読めると思いますが、LGBTについて特に興味がないという人にこそおススメします。トランスジェンダーの予備知識がなくても、すんなり読めて結果的にトランスジェンダーについても、理解が深まる書籍です。
書籍概要
女として育てられ、現在は男として生きるイツキ、28歳。勤務先の旅行会社には「過去」は告げていない。2歳上のパートナー女性、サトカはイツキを愛しつつも、出産への思いを募らせていく。職場、恋人、両親…。社会や家族と生身で向き合った先に、イツキは光を見出せるか。男とは、女とは、そして家族とはなんだろう……。「世間のフツー」を鋭く、軽やかに問い直す意欲作です。
印象的なシーン
『女性として生きた水戸。男性として歩み始めた東京。その両者が交わることなど決してあってはならない。』(P46)
主人公のイツキ(トランスジェンダー男性)が会社の同僚に付き合わされて仕方なく出席した合コンで、同じ高校の同級生の妹に偶然出会ってしまうシーンです。結局、これがきっかけで社内でセクシュアリティがバレてしまいます。
過去と決別しなければならないし、バレないように過去の話を慎重に作らなければならないというトランスジェンダーは多いです。バレるかもしれないと不安で過ごす日々がリアルに描かれています。
『サトカがいなくなる。「子供が欲しい」といなくなる。なんだ、やっぱり俺は、男なんかじゃなかったんだ。これまでずっと抱えて生きてきた「不良品」という言葉が、まさに時限爆弾のように体内で破裂しそうだった』(P113)
同棲しているパートナーの女性と愛し合い、お互いを大切に思いあってはいるけれど、一方で子供が生めないという現実を改めて突き付けられているシーンです。トランスジェンダーだからこそ、でもありますが、異性間でも不妊のカップルは多くいるので共通の悩みともいえるかもしれません。
『「息子と飲むというのもいいもんだな」その言葉にイツキは身を固くした。「…息子で…いいの?」父はこのときはじめて微笑んだ。「私が父でいいならな」』(P212)
20歳でカミングアウトをしたときから約8年にわたり、父親とほぼ断絶状態になっていた二人が新たな関係を再構築した瞬間です。このセリフにはいろんな背景があるのですが、ネタバレになるので詳細は割愛します。断絶理由はトランスジェンダーであるということを父親が受け入れられなかったことがきっかけではありますが、親子関係の断絶と関係構築ということ自体は普遍的であり、セクシュアリティ特有の問題ではありません。
感じたこと
改めてですが、この本の印象としてはLGBTの話というよりも、LGBTという属性のイツキという人物を囲む家族の形を描いた読み物という感覚のほうが強いです。
またこの本の原案を考えている杉山さんは、実生活において2019年にパートナーの女性と、精子提供をしてくれたゲイの男性との間に子供をもうけています。そこら辺の詳しい話は同時期に出版された『元女子高生、パパになる』に詳しく書かれています。違う話ではありますが、両方同時に読んでみると、より立体的に捉えられ、面白さがさらにアップします。