コロナ禍で予断は許さない状況ではありますが、2021年7月に東京オリンピックが開幕する予定です。オリンピックとトランスジェンダーについては、いろいろな立場から意見が出ていますので、改めて整理して考えてみました。
オリンピックとトランスジェンダーの関係で、一番議論になっていて難しいのが、MTFトランスジェンダーの選手が、女性として競技に参加することが適切かどうかという問題です。
自認が女性である以上、女子競技に参加を認めるべき、という意見がある一方で、主にシスジェンダーの女性(特に選手)からは、トランス女性が同じ競技に参加して記録や順位を同列に争うのは平等ではないという意見があります。実際に、今度の東京オリンピックでもMTFトランスジェンダーの選手で、女子重量挙げの有力な金メダル候補がいるそうです。
人権と平等の問題、という表現もあります。どのような対応が望ましいのでしょうか?
オリンピックの歴史を振り返ると、1896年の第1回アテネ大会は男子のみの大会でした。第2回のパリ大会では女子競技としてテニスとゴルフができ12名が参加しました。1964年の東京大会では女子競技は7種目、その後、女性の社会進出や男女平等の考えの浸透とともに女子競技が右肩上がりで増えていき、前回の2016年のリオ大会では女性の参加比率が45%まで増えています。
LGBTとの関連では、ロシアで同性愛の権利を制限する『同性愛プロパガンダ禁止法』が制定されたことへの反発により2014年のソチ大会へのボイコットが起きました。これを契機にオリンピック憲章の見直しが行われ、性的指向に関する差別禁止が明記されました。そして2016年のリオでは、50人以上の選手がカミングアウトをしたうえで出場するという画期的な大会となったのです。
このように男性中心のオリンピックから女性へ、そしてセクシュアルマイノリティへと門戸が開かれてきたという経緯があります。
オリンピックにおけるトランスジェンダーの参加規則は、2004年に新設され、①性別適合手術を受けている②法的に性別移行が完了している③適切なホルモン治療を2年間以上受けている、という3つの条件を満たした場合に参加することが認められました。
その後、法的な性別移行に関しては国により基準がまちまちということもあり、参加規則は2016年に改訂され、今はFTMトランスジェンダーが男子競技に参加することほぼ無条件で参加が認められるものの、MTFトランスジェンダーが女子競技に参加する場合にはテストステロン(男性ホルモン)の値がオリンピックの参加1年前から一定以下であることが条件となっています。
現在のテストステロンを参加の基準にすることについては次のような批判があります。
- 直近1年間のテストステロンの値が低くても、肉体的に男性として育ってきたことは競技に大きな影響を与えるので不公平である
- シスジェンダーの女性の中にも、テストステロンの値が基準値以上の人がいて、テストステロン値を下げる治療を結果的に強制される
スポーツにはすべてルールがあります。またルールは新設・変更などがあり、そこには有利不利が常にあります。そう考えた場合には有利不利があったとしてもトランスジェンダーの人権考慮を優先する今のオリンピックの基準もありだと思います。
ただ、もっと言えば男女にわけられない性自認のセクシュアルマイノリティもいます。そういうのを考えたら、思い切って男女で競技を区別することをやめて、身長別、体重別、テストステロン別など、男女以外のなんらかの基準でいくつかの階級に区分して実施するという方法のほうが良いのかもしれません。
男女が区別なく同じ競技に出場することにも異論はあるかもしれません。
現在のオリンピック競技は基本的にすべて男女で別れていますが、唯一、馬術競技だけが男女の別なく実施されています。これは馬という生き物を扱うスポーツであり男女によって有利不利がないと言われている(広くみんなが信じている)からです。
僕は馬術をずっとやっていたのでその経験からすると、確かに他のスポーツに比べれば筋肉量や体格だけで成績が決まるわけではないので男女差はすくないとは思います。実際に女性で活躍している人もたくさんいます。それでも、やはり傾向としては手足の長さや筋力などを考慮すると男性のほうが有利だと思います。競技人口の違いもあるので、一概にはいえませんが、オリンピックで成績を残しているのも男性のほうが多いです。
だから、オリンピック競技に男女の区分をなくして実施するというはすでに実施されているものもある以上、選択肢としては十分考えられると思います。
いずれにしても、今年の東京オリンピックではテストステロンの値を基準に、トランス女性が女子競技に参加して、メダルを獲得する可能性があります。
その場合に賛否両論あると思いますが、より大事なのはその結果に対しての一人ひとりの受け止め方だと思います。トランス女性であってもオリンピックに出るまでの努力は並大抵のものではないし、賛否あるのを承知の上でルールに則り参加を決断するという意思も尊重されるべきものかと思います。