『正欲』
直木賞作家の朝井リョウさんの原作書籍を岸善幸監督が映画化し、稲垣吾郎さんや新垣結衣さんが出演しています。
最近では「多様性の尊重」ということが、日本も含めて世界的なスタンダードになっています。
そんな社会的背景の中で、原作者の朝井リョウさんは、
多様性について
『清々しいほどのおめでたさでキラキラしている言葉です。これらは結局、マイノリティの中のマジョリティにしか当てはまらない言葉であり、話者が想像しうる”自分と違う”にしか向けられていない言葉です。
想像を絶するほど理解しがたい、直視できないほど嫌悪感を抱き距離を置きたいと感じるものには、しっかり蓋をする。そんな人たちがよく使う言葉たちです。』
と語っています。
多様性を尊重することは大切なことです。ただそこでいう多様性にはどこまで含まれているのか?尊重するとはどういうことなのか?
本作品のテーマは、“正しい欲”についての多様性です。
多様性について考えている人、尊重している人にこそ、おススメしたい映画です。
ストーリー
横浜に暮らす検事の寺井啓喜は、息子が不登校になり、教育方針を巡って妻と度々衝突している。広島のショッピングモールで販売員として働く桐生夏月は、実家暮らしで代わり映えのしない日々を繰り返している。ある日、中学のときに転校していった佐々木佳道が地元に戻ってきたことを知る。ダンスサークルに所属し、準ミスターに選ばれるほどの容姿を持つ諸橋大也。学園祭でダイバーシティをテーマにしたイベントで、大也が所属するダンスサークルの出演を計画した神戸八重子はそんな大也を気にしていた。
同じ地平で描き出される、家庭環境、性的指向、容姿などさまざまに“選べない”背景を持つこの5人。だが、少しずつ、彼らの関係は交差していく。
シーン
稲垣吾郎演じる検事の寺井啓喜は、“ふつう”という言葉を多用します。
不登校の小学生の息子に対して、本人の考えを聞こうとせず、自分(世間)の考える“ふつう”の生活を押し付けようとします。
また自分の想像できない他人の“欲”に対して『そんなのありえないだろ!』『社会の“バグ”』と言い放ちます。
デフォルメされているので反感を持つ人もいると思いますが、実際には、この寺井の感覚に近いものを感じる人も多いのではないでしょうか?
水フェチというかなりマイノリティな性的指向をもつ夏月と佳道。
『私たちは命の形が人と違ってる。地球に留学しているみたい』『この世界で生きて行くために、手を組みませんか』と語り合い、結婚をします。
自らを気持ち悪い存在だと思い、周囲にバレないように常に気を遣い、最後は自殺まで考えていた二人が、自分を理解してくれる貴重な誰かに出会えたことで、明日も生きていこうと思えるようになります。
恋愛感情や性的感情がなくても、二人には“繋がり”を感じられる存在が何より大切でした。
感想
LGBTの話の中では“性的指向”と“性的嗜好”の違いがよく話題になります。
この考えでは水フェチは“性的嗜好”に当てはまるのでLGBTと一緒にしないという意見もあります。
一方で、水フェチは広く考えれば性的マイノリティであることは間違いなく、多様性という括りの話とも言えます。
(ちなみに、本作では、すべて“性的指向”と表されています)
本作では、“水フェチ”と“小児性愛”というマイノリティの中のマイノリティが描かれています。
どちらもほとんどの人が想像もできない性的指向です。
水フェチは想像も共感もできないけれど、犯罪や他人への迷惑に直結しないという意味では社会的には許容されると考える人が多いかもしれません。
一方で“小児性愛”は犯罪に近い部分があり許容できないという人も多いでしょう。
さまざまな多様性の中で、どのマイノリティは認められるかの判断基準は、マジョリティ(マジョリティに認められたマイノリティも含む)側にあるという構造があります。
また夏月や佳道は自らの性的指向を周囲に理解されるとも、理解してほしいとも思っておらず、だからこそ無用な詮索をせずただ放っておいてほしいという感覚が強いです。
正解のあるテーマではありませんが、改めて“多様性”や“尊重(理解)”について考えるきっかけになると思います。映画をみて興味を持った人は、是非、原作本も読んでみることをお勧めします。