『作りたい女と食べたい女』

料理を作ることが好きな野本ユキと、たくさん食べることが好きな春日十々子という、二人の女性を主人公にした漫画です。
2021年からウェブコミックとして連載が始まり、2022年にはNHKでテレビドラマ化され、2024年にはシーズン2も放送されました。
料理漫画であり恋愛漫画でもありますが、それだけではありません。
二人の関係を通じて、ジェンダーやセクシュアリティ、家族、恋愛、そして「普通」とは何なのかが丁寧に描かれています。

 

書籍概要

一人暮らしの野本さんは料理が好きで、本当は大きな料理やたくさんの料理を作ってみたいと思っています。しかし、自分一人では食べきれません。一方、隣人の春日さんは、とにかくたくさん食べることが好きな女性です。

ある日、思い切って春日さんに料理を食べてもらったことをきっかけに、二人は一緒に食事をするようになります。

 

印象的なコンテンツ

「作りたい女」と「食べたい女」。

一見すると、それだけの関係です。
しかし、一緒に食卓を囲み、食べたいものを食べ、作りたいものを作り、少しずつお互いのことを知っていく中で、二人の関係は変化していきます。
そして野本さんは、春日さんに対する自分の気持ちを通じて、これまで自分が当然のように受け入れてきた異性愛について疑問を感じ、自分がレズビアンかもしれないと感じるようになります。

この作品でまず印象に残るのが、「女性なら料理が得意」「女性なら少食」「女性が料理をするのは家族や男性のため」といった、社会の中にあるジェンダー規範です。
野本さん本人にとって料理は、「自分がやりたいからやっていること」です。
それなのに周囲は、「家庭的な女性」「将来は夫や家族のために料理をする女性」という別の物語を勝手につくってしまう。

「本人がどういう人なのか」ではなく、「こういう人だろう」という周囲のイメージが、その人を決めてしまう。

これは、LGBTについて考えるうえでも、とても重要な問題です。

 

「結婚しないの?」
「彼氏(彼女)はいるの?」
「女性なのに、ずいぶん食べるね」
「料理が得意なら、いい奥さんになれそう」
「男同士で旅行?仲がいいんだね」
こうした、一見すると悪意のない言葉の積み重ねによって、「自分は周囲が想定している人間像とは違う」と感じることがあります。
『作りたい女と食べたい女』が描いているのは、まさにそうした「何気ない日常」です。

本作では、野本さんが自分のセクシュアリティについて悩む場面も描かれます。
あるとき野本さんは、アセクシュアルでレズビアンの矢子さんに、自分の気持ちについて相談します。
「最近好きになったのが女の人で、男性を好きになったことがないのに、この歳まで恋愛対象は異性だと思い込んでいたんですよね。彼女を好きになれたとき、本当の自分はこうなんだって、はじめて思えてすごくうれしかったんです。でも、他のレズビアンの人の話を調べてみて、自分とは違うな?と感じることが多くて……。もしかして私、ちゃんとしてないのかなとか」

野本さんが感じているのは、「自分はレズビアンなのか」という単純な疑問だけではありません。
同じレズビアンという言葉で括られている人たちの経験と自分の経験が違うことから「自分はちゃんとした当事者ではないのではないか」と不安になっているのです。

それに対して矢子さんは、他者にまったく性的魅力を感じない人もいれば、ときおり感じる人もいる、親しい相手にしか感じない人もいる、と説明します。
つまり、同じ「レズビアン」や「アセクシュアル」という言葉で表現される人の中にも、性的な感覚や恋愛感情のあり方にはさまざまな違いがあるということです。

これは、LGBTについて考えるうえで、とても大切な視点だと思います。
「LGBT当事者」という言葉を使うと、つい一つのまとまった集団のように考えてしまいます。しかし、実際には一人ひとりの感じ方や経験は異なります。

だからこそ、LGBT施策においては「LGBTとはこういう人たちです」と一つの答えを示すことではなく、同じカテゴリーの中にも、一人ひとり異なる経験や感じ方があることを知ることが大切になります。

本作では、野本さんが自分のセクシュアリティについて悩み、カミングアウトについて考える場面も描かれます。一方で、作品そのものについては、カミングアウトをめぐる描写や、アセクシュアル/アロマンティックなどのセクシュアリティの扱いについて、さまざまな批判的な読みも存在します。

だからこそ、この作品を「LGBTQについて正しく学ぶための漫画」として読む必要はないと思います。
むしろ、「人はどのようにして、自分にとって心地よい人間関係や生き方をつくっていくのか」という視点から読んでいただくと新たな発見がある作品です。

『作りたい女と食べたい女』は、こうした「一人ひとり違う」という当たり前のことを、恋愛や食事、家族との関係といった身近な日常を通じて考えさせてくれる作品です。